二人の我侭

天気の良い午後の昼下がり。
任務の無い日曜日の宿舎は、酷く静かだ。その静けさの中、ジェネシスは自室のソファにゆったりと腰掛け熱心に『Loveless』のページをっていた。
そこへ読書の邪魔をするかの如く、けたたましいインターホンの音が鳴り響く。ジェネシスは読書の時間を妨げられたくなくて、インターホンを無視していたのだが、騒音の主は図々しくも勝手にジェネシスの部屋へと入ってきた。
これが他のソルジャーだったら、部屋に侵入した時点で黒焦げにされてもおかしくはない。だが、そうはならなかったのは、そのやかましい侵入者が、他ならぬ幼馴染みで親友で、恋人でもあるアンジールだったからだ。
室内に入ってきたアンジールの姿を、ジェネシスは意外そうな顔で見詰める。
「アンジール、お前のミッションはあと二日あるんじゃなかったか?」
「ああ、予定より早く終わったんだ!」
喜色満面といった笑顔を浮かべて報告するアンジールに、ジェネシスも釣られて口許が綻ぶ。
「久しぶりに、休日をお前と過ごせるぞ! 何処か行きたい所はないか? 映画か? それとも観劇か?」
捲し立てながらもジェネシスの隣に腰掛けるアンジールに対し、ジェネシスは両手を上げ制するようなジェスチャーを取った。
「まあ、落ち着け」
はしゃぐアンジールに対して、ジェネシスは極めて冷静だ。
「今日の俺は、インドアな気分なんだ」
ジェネシスは手元の『Loveless』をこれみよがしに持ち上げて、アンジールにアピールする。
「今も、コレを読んでる最中だったんだ。出来れば、少し静かにしてくれないか?」
『Loveless』を指し示しながら、小首を傾げて可愛く「お願い」ポーズを取られたら、流石にアンジールでも敵わない。
しかし、突如降って湧いたジェネシスと同じ休日に依然として未練が残る。何とか、ジェネシスの機嫌を損ねることなく滅多に出来ない街中デートを実行したい。
どうしたら興味を持ってくれるだろう?
ここで、「『Loveless』なんて何時でも読めるだろう?」などと、突っ込むのは不正解である。
この叙事詩がジェネシスにとって、どれだけ大事な本であるか。それを良く分かっていれば迂闊な事は云えない。却って不機嫌を助長させ、下手をすれば暫く口も利いて貰えないだろう。
先ずはジェネシスのお願い通り静かにしつつ、彼の隣に腰掛ける。
真剣に『Loveless』の内容を一行一行目で追いかけるジェネシスの横顔は端整で綺麗だ。幼馴染みとはいえ暫し見惚れてしまう。きっと、彼の頭の中では今まで出ている様々な解釈との比較や別角度からの新しい解釈の検討などが目まぐるしいスピードで行われているのだろう。
まだ当分の間は『Loveless』の世界に没頭していそうだ。アンジールは静かに立ち上がるとキッチンへと移動した。
やがて仄かに甘い林檎の香がふんわりと広がり、キッチンからリビングまで漂って流れ着く。聞き慣れた優しい香りに、叙情詩に夢中だったジェネシスも文字列から目を離し、緩く面を上げた。
「少し息抜きしないか?」
アンジールがカップをふたつ携えながらリビングに戻ってくる。
確かに読書に集中し過ぎるあまり若干の疲れを感じ始めていた。ジェネシスは目の前のテーブルに配膳されたティーカップを手に取り、素直に口元まで運ぶ。
アンジールが淹れてくれる紅茶は、シュガーレスにも係わらず甘く感じるのは何故だろう。ジェネシスは目を閉じてゆっくり味わうように紅茶を啜った。
仄かに甘く温かい紅茶に、ジェネシスの心も緩む。再びジェネシスの隣に腰掛けたアンジールに対して、ジェネシスはようやく「おかえり」の言葉を掛ける余裕が出来た。
ぽつりと突然、宙に放たれる「おかえり」。
普通の神経なら、何を今更と揉めてもおかしくはない。だが、アンジールとジェネシスはそんな下らない諍いとは無縁な程に親密で、お互いを良く理解していた。アンジールはすんなりと、素直に「おかえり」を受け止める。
唇が触れ合う程に顔を近付け、「おかえり」と「ただいま」とキスとを交互に交わす。甘いアップルティーの香に包まれたお陰か、先程までの少し硬かった場の空気が瞬く間に一変して、リビングには甘い恋人同士のゆったりとした雰囲気が漂う。
この落差が堪らなくスリリングで、恋人のやや素っ気ない態度も気にならない。寧ろ、幼馴染みとして付き合いの長い二人にとって適度なスパイスとなっている。
態度が軟化したジェネシスに、アンジールは再度尋ねる。
「何処かに、出掛けないか? 久しぶりに、二人で」
── そうだな」
ジェネシスは先程とは違い、興味の色を滲ませた眼差しでアンジールを見遣る。
「お前が……、アンジールが行きたい所に行きたい」
赤毛の恋人は隣に腰掛けるアンジールの肩に、甘えるように頭を乗せて強請ってきた。不覚にも、アンジールの鼓動がどくりと大きく脈打つ。
「俺が行きたい所なんて、お前には詰まらんだろう?」
アンジールの趣味は園芸やカメラ、たまに料理といったところでジェネシスの関心など到底引きそうに無い。
「でも、お前はそう云って、いつも俺の行きたい所ばかり連れて行ってくれるだろう?」
アンジールの胸元に凭れつつも、申し訳なさそうな表情でジェネシスは見上げてくる。
我侭一辺倒ではなく、時折こうして気遣いを見せてくれるところがアンジールだけが知るジェネシスのジェネシスらしさであり、二人が衝突せず上手く関係を築けていける要因のひとつでもある。
「俺は好きでお前の我侭を聞いてやりたいんだ、ジェネシス。まあ、惚れた弱みってヤツだな」
アンジールは相好を崩して、ジェネシスの柔らかい赤毛をくしゃくしゃと掻き回した。アンジールが照れ隠しをする時によくやる仕種だ。
「俺だって、アンジールには惚れてるんだ。たまには俺にも、お前の我侭に付き合わせてくれ」
アンジールが甘やかすような態度を見せる時は、ジェネシスもそれに乗っかって素直に甘えてみせるのが常なのだが、どうやら今日は違うらしい。
いつになく真剣な面持ちでアンジールの顔を見詰めると、アンジールの頬に片手を添え自分の方に向けさせた。
「お前の我侭を聞きたい。それが、今日の俺の我侭── だ」
頑固なところはあるが、滅多に我侭など云わない。所謂、優等生気質のアンジール。だが、そんな幼馴染みの我侭を聞いてくれる奴など周囲に居るだろうか。
恋人の自分に対してくらいは我侭のひとつも口にして欲しい。それが例え、ジェネシス自身の我侭だとしても。
多くを語らなくてもジェネシスの謂わんとするところはアンジールにも伝わったらしい。以心伝心の速さは幼馴染みであるが故の利点だ。
アンジールは口角を上げ、ニッと笑うとソファから立ち上がる。それと同時にジェネシスの両腕を取り、引き上げるようにして立たせた。
「じゃあ、今日は俺の用事に付き合ってくれるか、相棒?」
少しこうべを垂れ、額を付き合わせるとまるで挑発のような口調で誘う。
「勿論だ!」
合わせるようにジェネシスも、受けて立つ、とでも云うような強い口調で応酬する。
暫し、場には緊張した空気が張り詰め。次の瞬間には、くすくすとした笑い声がどちらからともなく洩れ、互いの肩を叩き合う。
笑みを零しながら肩を組み、二人が出て行った部屋の中には、穏やかな日差しと暖かい午後の陽気、そして和やかな空気だけが残されていた。

end
2010/7/22