-パンドラ-
唇にそっと己れの手の甲を触れさせる。
脳裏に蘇るキスの感触に唇が熱を帯びる。身体が火照る。
一体、あの時自分の身に何が起こったのか、今でも良く分からない。気が付いたら、英雄に、セフィロスにキスされて押し倒されて、そして、気が付いたら自分からキスを強請っていた。
唇が熱い。
身体が── 熱い。
◇◆◇
しんと静まり返ったソルジャーフロア。そのロビーでいつものようにソファに寛ぎ、『LOVELESS』を読み耽る。
カツコツと硬い靴音を立てて英雄が近付いてくる。だが、目線は本から外そうとはしない。
「随分と静かだな……」
「今日は、2ndと3rdで合同訓練だそうだ。アンジールは訓練の立ち合いで、他の1stは任務で大体出払っている。そして── 俺は待機を命じられた」
「俺は、何も聞いてないが……」
「英雄にわざわざ待機を命じる事もないだろう?」
「つまり、俺も待機、か?」
「だろうな……」
セフィロスは、当然のようにジェネシスの隣に腰掛ける。いつものように、『LOVELESS』を詠んで聴かせてやろうと次のページに手を掛けた瞬間、本を取り上げられた。
はっとして、むっとして、セフィロスを見上げる。
顔が近い。身体が近い。
体温が── 上昇する。
セフィロスは、取り上げた本を脇に置くとジェネシスの顎を捉え、上向かせ口付ける。
「ん……こんなところで……」
キスの合間に抗議をする。いくらソルジャーがほぼ全員出払っているとは言え、ソルジャーフロアには科学部門の社員も出入りするのだ。
「コソコソするのは、嫌なんだろう?」
揶揄うように囁かれて。自分で発した言葉とは裏腹に、セフィロスの首に腕を廻し更なる口付けを強請る。
「── ぅ……ん」
コートの下に忍び入り身体を弄ぐるセフィロスの手に艶声を洩らして、セフィロスの身体にしがみつく。以前とは違い、抵抗無く口付けに応じるジェネシスに、セフィロスはどうしてもアンジールとの関係が気になった。
「俺には幼馴染みなど居ないから分からないが、幼馴染みというものは普通にキスとかするものなのか?」
「さあ……な。しないんじゃないのか? 普通は」
気怠そうに答えながら、でもキスをやめることはしない。セフィロスはキスに答えながらもゆっくりとソファの上にジェネシスの身体を押し倒す。キスの合間に会話を続ける。
「俺は、神羅で育って……子供の頃から、周りは大人ばかりだった。幼馴染みどころか、歳の近い知り合いさえ居なかった。── お前に、会うまでは……」
タークスにも歳の近いのが多少いる事はいるが、彼等とは完全に仕事でしか付き合いがない。知り合いと言える範疇では無かった。プライベートでも親しくしている同年代の人間は、本当にジェネシス位しかいなかった。
だから、自分はジェネシスに執着しているのだろうか? では、この独占欲は何だ?
セフィロスの告白に、自分とは違いすぎる環境で育った英雄に、同情とは違う何かがジェネシスの胸を苦しくさせた。
「頬に……キスする位なら、よくある事なのか?」
「何が、だ?」
「アンジールと……していただろう?」
やはり見られていたのかと、ジェネシスは少し顔を逸らして小さく嘆息する。セフィロスは、答えないジェネシスに更に質問を重ねた。
「お前は、アンジールと……付き合っているのか?」
ジェネシスは、僅かに目を細め返答に詰まる。自分とアンジールの関係は、何と言って説明していいのか分からない。だが、幼馴染みでなければあんな関係になっていないことは確実であった。いつまでも進展すらしない自分達の関係は、友情や恋愛といったものよりも依存に近いのかも知れない。
「── 付き合っていたら……どうする?」
わざと煽るように口角を上げ、逆に尋ねる。セフィロスは暫し思案を巡らせるような表情を見せながらも、迷い無く断言した。
「お前を── 奪いたい」
魔晄を帯びた眼光を更に妖しく閃かせ、再び貪るように口付けてくる。息継ぎも許さぬ程の激しい口付けに、思わず顔を背け唇を外すと、今度は喉元に喰らい付いてくる。
「ん……ふっ」
ジェネシスは首筋を反らし甘い声を洩らして、セフィロスの背中に頭に両腕を廻して掻き抱く。ジェネシスの身体を弄る手は、ハイネックをたくし上げ直接肌に触れる。ジェネシスの口許からは吐息が零れ、その瞳は潤み熱を帯び、白皙の肌は朱に染まる。
「ジェネシス!」
すっかり夢中になっていたところへ、飛込んできた声。
「……何をやっているんだ?」
声のする方向を見れば、其処には幼馴染みの姿があった。
ジェネシスは、ばつの悪そうな顔をして、セフィロスの身体を押しやると身を起こして髪を掻き上げた。そして、立ち上がると何も言わずにアンジールの横を通り過ぎて行く。
「ジェネシス!」
振り返りもせずエレベーターへと向かうジェネシスの後ろ姿を見やって、アンジールは嘆息を漏らす。
「……言っておくが、無理矢理押し倒した訳じゃないぞ?」
窺うようにセフィロスが告げると、アンジールは「分かってる」と吐き出すように言って再び嘆息した。
「── 追い掛けなくて、いいのか?」
「まだ、合同訓練の途中なんだ。ちょっと、忘れ物を取りに来ただけで……な」
言ってアンジールはブリーフィングルームに入ると、何かを持ってソルジャーフロアから忙しそうに立ち去った。
◇◆◇
その日の夜。強い風が窓枠を揺らし、穏やかとは言えない夜だった。
アンジールは躊躇いがちにジェネシスの部屋のドアをノックした。少し間があって、ゆっくりとドアが開く。ジェネシスは、アンジールの顔を認めると、俯き加減に目線を逸らし僅かに溜め息を零してから部屋に招き入れた。
「ジェネシス……」
戸口で話掛けてくるアンジールに、「まずは座ったらどうだ?」と、ソファを示す。自分も対面に腰掛ける。
お互い、何から話していいのか分からなくて、長い沈黙が場を支配する。「ジェネシス……」再び、アンジールが名前を呼んで、両手で頭を抱えるようにして俯いて、ひとつ溜め息を吐く。
「もう、終わりなのか……?」
「終わりにしたいのか?」
抑揚の無い返事があっさりと返ってくる。
終わりにしたい訳が無い。だが── 。
少し顔を上げて、指の隙間からジェネシスを見遣る。腕を組み、足を組んで、ソファに座る── その表情は、幼馴染みのアンジールでも上手く読み取れなかった。
「セフィロスを……どう思っているんだ?」
好きなのか?とは、ストレートに聞けずに曖昧に問う。
「お前こそ、俺をどう思っているんだ?」
静かに、だが、どこか怒りを孕んだ声。
「俺を── ただ、縛り付けて……! それで、俺を……求めもしない」
激昂して、嘆いて、今度はジェネシスが頭を抱える。
思わぬ反応に、アンジールは驚いた。幼馴染みだからと、何でも分かったつもりでいて、きちんと話し合った事がなかった事に今更ながら思い当たる。きっともう、子供の頃のようにはお互いを解り合えていない。
アンジールは立ち上がって、ジェネシスの傍に寄り宥めるように肩を引き寄せる。
「今のままじゃ、苦しいんだ! どうにかしてくれ、アンジール」
縋るような顔で、横に掛けたアンジールを見る。恐らく、それは自分にしか見せない表情であった。自然に抱き寄せて、慰めるように頬に口付ける。ジェネシスはアンジールの背中に両手を廻して、その肩口に顔を埋めた。
「お前に、必要と……されていたい……ずっと」
懇願するようにジェネシスは吐き出した。
その言葉でようやくアンジールも理解する。
何時かは相手が離れていってしまうのではないかと、何時までも一緒にはいられないであろう事を、不安に感じていたのは、自分だけではなくジェネシスも同じだったのか。
「セフィロスの事は……いいのか?」
「……アイツとは、お前が思っているような関係じゃない」
英雄が、自分を本気で相手にしている訳が無い。不安定で不確かで、蜃気楼のように儚い。今感じてる、この確かな温もりの方がいい。
「疑うなら、自分で確認してみろ」
顔を上げて、挑むような眼差しで見つめて言い切る姿に、アンジールも決意を固めた。
冷えた褥が二人分の体温で温まる。
相変わらず風は強く吹いていて。室温が完璧に調整されているはずの部屋が、やけに寒々しく感じられた。
アンジールには、分かっていた。ジェネシスには、自分にしか見せない表情がある事を── 。分かっていて、優越感さえ覚えていた。ジェネシスの事なら何でも知っている。知らない事など無い、という自負があった。
今日、アンジールは知ってしまった。ジェネシスに自分には見せない表情がある事を── 。
セフィロスには見せて、自分には見せない表情がある事を── 。
end
2008/4/26