三か月目のキス
セフィロスの手がすっと伸びてきて、徐にジェネシスの滑らかな頬の感触を楽しむかのように皮膚表面を滑らせる。と、さりげなく顎を固定して顔を近づけてきた。
「ばっ、ヤメロ!」
反射的にセフィロスの顎を掌で押し上げ、目論見を阻止する。ぐきっと鈍い音が鳴った気がするが、気にするものか。英雄ならそれくらい大した事ではないだろう。
「どうして、嫌がる?」
セフィロスは目を眇め、痛そうに顎をさすりながら訊いた。
「俺達は付き合って、もう三か月にもなるんだぞ」
「う……うるさい!」
ジェネシスは誤魔化すように更にセフィロスの腹部に一発くれてやると、慌ただしくブリーフィングルームを出て行った。相手が英雄だと思っての、全く手加減無しの一発は流石に少々痛くて、セフィロスは残りの手で腹もさする。ここまでされれば、通常の人間なら嫌われたのだろうかと心配するところだろう。だが、英雄である彼は敵以外に嫌われるという思考には至らない為、ある意味変な誤解が発生する事はない。
勿論、ジェネシスが英雄を嫌っている筈もなく、拒否をし続ける理由は当然他にあった。
付き合い始めて間もなく三か月になるのは確かな事だ。しかし、自分達は付き合い始めた日が出会った日。つまり、出会ってから、まだ三か月しか経っていないのだ。
しかも、その間お互いミッションをこなしたり何だりで忙しく、頻繁に会っている訳ではない。純粋に会った時間だけ抽出し換算すれば、一か月あるかどうかも疑わしいところだ。
逃げ込むように乗り込んだエレベーターの中で、ジェネシスは片手で頭を押さえながら溜め息を吐く。
幼い頃から憧れ続けた英雄と付き合っているという現状さえ未だ信じ難いのに、まだお互いの事を良く知らないと言える状況でこれ以上に関係を進めるなど想像を絶する。自分達は何もかも段階をすっ飛ばして付き合い始めてしまった。その所為で、付き合い始めてからの段階の踏み方が完全に分からなくなっていた。
一方、セフィロスはセフィロスで付き合いを了承したという事は、それに関わる全ての事象を了承したものだと受け止めていた為、三か月もの月日が経過した今でもキスひとつ許してくれない恋人に困惑を覚えていた。英雄である俺に一体何の不満があるのかと、自分自身に落ち度はないという自負がある為これまた始末が悪い。
ジェネシスの複雑で微妙な機微など考慮も理解もしてくれていなかった。
こうなったら、無理矢理にでも……などと、不穏当な考えが脳裏に過ぎる。そもそも、付き合っているのだから拒否する方がおかしいのだ。
だから、セフィロスはジェネシスに僅かな隙さえ見付ければ、透かさずキスを仕掛けてやった。その試みは、現在のところ連敗記録を更新中であったが。英雄としては、今まで己れが負ける事など考えた事すらなかった。そのセフィロスが、ジェネシスとのキスに関しては完全に惨敗を喫していた。それ程までに、ジェネシスは頑なだったのだ。
ジェネシスのこの強固な牙城を如何にして崩してやるか、その為のシミュレーションを頭の中で行う事がセフィロスにとっては楽しい日課にさえなりつつあった。
さて、話は変わるがジェネシスにはアンジールという幼馴染み兼親友がいる。
このアンジールにとっては、正直幾ら神羅の誇る英雄といえどもセフィロスの存在が少しばかり気に食わない。
何しろ幼い頃からずっと一緒で、それ故に共に神羅のソルジャーを目指し、今では相棒として背中を任せる存在となっているジェネシスに、行き成り交際関係を迫ったような不躾な奴だ。ジェネシスが元々英雄に憧れていたのは重々承知している。だからこそ、ジェネシスがセフィロスの申し出を受けたのだという事も解っている。
解ってはいるが、やはり気に食わない。単に気に食わないと言うだけではない。ジェネシスの英雄に対する憧れの気持ちが純粋で一途なものだと知っているからこそ、出会ったその日のうちに付き合い始めるなんて大事な幼馴染みが単に英雄に遊ばれているだけなのではないかと心配になる。
アンジールは、とかく心配性なのだ。もっとも、ジェネシスがソルジャー・クラス1stとなった後も彼の心配性は相変わらずだった為、ジェネシスも少々うんざりしているようだったが。
そんなアンジールが、セフィロスにジェネシスの事について相談を持ち掛けられた時は、力になってやろうという好意的な気持ちよりも、我が幼馴染みはそんな簡単に英雄の思い通りになる輩ではなかったという安堵と確信と、英雄に対して少し優位に立てたような不遜な気持ちになった。我ながららしくないとは思うが、殊ジェネシスに関しては、やはり自分の方が上でいたい、一番の理解者でいたいのだ。昨日今日知り合ったばかりの英雄に、簡単に奪われたくないという花嫁の父のような心境もあるのかも知れない。
だから、アンジールにとっては、セフィロスの言う「ジェネシスがキスをさせてくれない」などという悩みは、悩みと言うよりも贅沢な愚痴にしか聞こえなかった。セフィロスの悩みに親身になって相談に乗ってやったり、慰めてやる気にもならない。
「セフィロス、ジェネシスは確かに気難しいところもあるが、どんな事にだってちゃんと理由がある」
アンジールは、英雄の肩を掴むとその顔を覗き込む。
「お前はその理由を── ジェネシスの気持ちを考えた事があるのか?」
結局、アンジールの口から出てきたのは、セフィロスを窘める言葉だった。
「気持ち……?」
あいつと俺は同じだ── そう思っていたセフィロスは、ジェネシスが何を思っているのか、などといった事は確かに考えた事がなかった。だって、『同じ』なのだ。何を考える必要があろう。
「あいつの気持ちは、俺と同じだ」
セフィロスは、思ったままの言葉でアンジールに反論する。
「── よく考えろ! キスを拒まれている時点で、同じな訳がないだろう」
アンジールは、どこか世間ずれした英雄に呆れながら嘆息し、脱力した様子でセフィロスの肩に手を掛けたまま頭を垂れた。
そこまで指摘されて、ようやくセフィロスはアンジールの意見は的を射たものなのだと思えてきた。
「どんなに心が通じあってると思ったって、言葉にしなければ伝わらない事もたくさんある。俺とジェネシスだって、長い付き合いだし言わなくても解る事も多い。だが、その関係に甘えて意志の疎通を放棄してしまったら、理解しあう事は出来ない。俺達がケンカする時は、やっぱりお互いの気持ちを考えてやれなかった時だと思う」
いつの間にか、アンジールは英雄に対して熱いアドバイスを述べていた。その内容は、やや説教臭かったがセフィロスが少し考え込むような表情を見せる程度には効果があったようだ。
「お前達でも、ケンカなんかするんだな……」
ぽつりと呟く英雄に、「仲が良いからケンカ出来るんだ」と、英雄の肩を勢いよく叩きながらアンジールは破顔した。
相似性があるという事と理解し合えるという事は、必ずしも合致しない。そんな当たり前で些細で大事な事を、セフィロスは初めて出来た友人達に教えられつつあった。
セフィロスは改めてジェネシスに会うため、宿舎に行き彼の居室を訪れた。
アンジールに言われて、今まで考慮してなかったジェネシスの気持ちをきちんと確認しようと思ったからだ。
先程の遣り取りがあった為ジェネシスは異常に警戒していたが、何とか部屋の中には入れてくれた。但し室内に入った後も、ジェネシスはセフィロスと一定の距離を保っていたが。
「そう警戒するな。お前が嫌なら何もしない」
セフィロスの今までの行動からは想像出来ない発言に、ジェネシスは目を瞠り却って身を退いた。
「どういう風の吹き回しだ?」
「アンジールにもっとお前の気持ちを考えてやれと言われた。だが、自分で考えても分からなかった。だから、教えてくれ。どうしてキスを嫌がる?」
ジェネシスは今一度驚いたが、同時にアンジールの名を聞いて納得もした。英雄は確かに英雄たる故不遜なところがあったが、それは周囲が英雄として特別に扱ってきた所為であり、ちゃんと諭してやれば案外に素直なのだ。
改まってセフィロスに自分がキスを拒む理由を告げるのは恥ずかしかったが、ここでちゃんと答えてやらなければ真剣なセフィロスに対してあまりに不誠実だと思う。
「それは、その……だな。き、緊張する……から、だ」
ジェネシスはおずおずと答える。顔から火を噴きそうだった。
「緊張? 何故、緊張などする必要がある?」
セフィロスは真剣に分からないといった表情で真っ直ぐ訊いてくる。
「だって、あんたは『神羅の英雄』なんだぞ!?」
「じゃあ、何の問題も無いな」
「は── ?」
一体、何が問題無いのかとジェネシスは訝しむ。
「お前の前では、俺は『英雄』じゃない。お前と同じソルジャー、同じ── 人間、だ」
セフィロスの言葉にジェネシスの心臓はどくりと脈打った。それは、至極当たり前で正当な言い分だった。
「すまない、セフィロス」
ぽつりと零れ出たジェネシスには珍しい素直な謝罪の言葉。
ジェネシスは浅はかな自分を恥じた。素直に非を認めざるを得ない。
今まで本当に、ただの友人として、ただの恋人として接してくれていたセフィロスを、自分から『英雄』という枠に押し込めて遠ざけていたのだ。自分の気持ちを考えてくれないセフィロスを一方的に心の裡で責めていた。自分もセフィロスの本当の気持ちを理解出来ていなかったというのに。
自分達は、一体どこまで同じなのだろう。ジェネシスの心は一気にセフィロスへと歩み寄る。
「キス……しても、いい」
俯いて、辛うじて絞り出された消え入りそうなか細い声。
「何……」
「キスしていい、と言ったんだ! さっさとしろ!!」
今度は、キッとセフィロスの顔を見据え、キッパリと言い放つ。
セフィロスは、先ずジェネシスの方へ一歩歩み寄る。それでもやはり、まだ少し緊張しているのであろう。微かに震えるジェネシスの肩に手を置いて、そっと引き寄せた。
硬く目を瞑ったジェネシスの顔にゆっくりと近付いていくセフィロスの顔がジェネシスの顔付近で傾く。軽く唇を合わせるだけの、控え目な淡い口付け。
永遠にも感じる一瞬。
こうして二人は三か月目にして初めての、甘くぎこちないキスを交わした。
end
2009/10/8