水月

それは、決して手の届かない、手に入れる事が出来ない。

セフィロスには、欲しいものなど無かった。望む程の欲さえも無かった。

後輩達が来る前に、ミーティングの準備をしなくてはいけない。アンジールは、少し急いた気持ちでブリーフィングルームのドアを開けた。
前室からは硝子越しに奥の部屋の様子が垣間見える。その奥の部屋で、親友二人の姿を見付けてアンジールはぎょっとする。
セフィロスは、ジェネシスの身体を壁面に押し付け、頬から首筋へと辿るように唇を移動させている。ジェネシスの顔は向こう側へ逸らされていて表情は確認出来なかったが、少なくとも嫌がっているような素振りは感じられない。
セフィロスの手はジェネシスの身体をまさぐり、その服の内側までも侵蝕している。
見てはいられずにアンジールは、ブリーフィングルームの二のドアを開けた。
「お前達、少しは場所をわきまえろ!」
怒鳴り付けてやると、慌てて身を離す事もなく、セフィロスはゆっくりとアンジールの方を見遣る。その口許は悪びれもせず笑みを湛えていた。
暫し、間を置いてからセフィロスはようやくジェネシスから身を離し、そして優雅に歩を進めるとアンジールの脇を通り抜けて平然とした態度で部屋を出て行った。
一方、ジェネシスは、未だ壁に身を預けたまま突っ立っている。仕方なく、アンジールは幼馴染みに近付くと、その乱れたままの着衣を整えてやった。
「もうすぐ、2nd達が来るんだ。お前も出て行け」
ジェネシスは相変わらず顔を向こう側に背けたまま、複雑そうな表情で壁を見詰めている。
「怒っているのか?」
邪魔をしたのは悪かったとは思うが、あのまま見て見ぬ振りは出来なかった。この後、ミーティングが控えているのだ。下手をしたら他の誰かに見られていた可能性だってある。
ジェネシスはようやく顔を動かしアンジールの顔を見ると、少し安堵の表情を見せた。
「いや、来てくれて助かった」
それだけを言うと、怠そうに壁から身を起こして、心なしかふらついた足取りでブリーフィングルームを立ち去った。
助かった── という事は、先程の行為は、ジェネシスにとって本意では無かったのか。
これからミーティングが始まる事を考えると、気にはなったが、ジェネシスを追い掛けて問い質す暇は無かった。
お互いもういい大人なのだから、必要以上の詮索も無粋に思えて、アンジールはその日の事はそれっきり、それ以上追求する事も無かった。

ある日、トレーニングルームの前を通り掛ると、突然呼び止められた。
「アンジール!」
出来る限り抑えられた控え目な声量。
振り返って見てみると、ジェネシスがコートの合わせの部分を手で押さえながら、懇願に満ちた顔を覗かせている。
「ちょっと来てくれ。頼む!」
近付いてみると、コートの内側に隠れたジェネシスのインナーは引き裂かれ、合間からは白い素肌が見え隠れしている。革のコートもどこかよれていて、皺が目立つ程だ。
何があったのか、何をされたのか、容易に想像が付く。
「また、セフィロス── か?」
幼馴染みは睨むようにアンジールを見詰めると、詳しい事は後で説明するから、自室に戻るまで盾になってくれ、と頼んできた。
仕方なくジェネシスの身をかばうようにして、ソルジャーフロアの廊下を抜ける。ジェネシスは相変わらずコートの合わせをしっかりと押さえながら、アンジールの陰に隠れるように身を寄せ、追従した。

人目を忍びつつ時にはやり過ごしつつ。どうにかジェネシスの私室に辿り着くと、ジェネシスは汚ないモノを抓むようによれたコートを脱ぎ捨て、床の上に放置した。実際、赤い革のコートの黒い裏地部分には、はっきり精液の跡だと判るほどの汚れが広範囲に渡って付着している。
ジェネシスは忌々しそうに髪を掻き上げると、吐き捨てるように言った。
「このコートは、廃棄するしかないな」
コートを脱ぎ捨てた為、裂かれてズタボロになったインナーと晒け出された白い素肌が露になる。目のやり場に困ったアンジールは、幼馴染みから目線を外しながら、問掛ける。
「お前、セフィロスとは、どういう関係なんだ? 遊び── なのか?」
「ハッ、遊びと言うほど、真剣じゃないさ」
乾いたわらいと共に心底どうでも良さそうに言いながら、ジェネシスは怠るそうな仕草で裂かれたインナーを自分の身体から取り除くと、革のコートの上に叩き付けた。
それからクローゼットに向かうと、無造作に扉を開けガチャガチャと音を立てながら中を物色する。適当な上着を選び取ると、ジェネシスはそれに着替えた。
「たまにセックスの相手をしてやるぐらい……俺は、構わない」
ソファに身を投げ出すようにして腰掛けると、ジェネシスは淡々と呟く。
「場所を選ばないようなところは、少々辟易してるがな。でも、俺は──
それっきり、ジェネシスは考え込むように口元に左手を添え黙り込んでしまった。

氷点下の月が辺りを照らす。その零下の光に晒された辺り一面が、まるで彼岸のようだった。
冷たい月光を背に、戦場に浮かび上がるように立つ、英雄。
神羅側の人間でさえ、恐怖をる事を禁じえない。
それは、同じ1stという立場である筈の、親友である筈のジェネシスにさえ畏怖の念を抱かせた。
全ての敵を殲滅し終えたセフィロスは、口端を吊り上げると無造作にジェネシスの腕を掴んで野営の為に設置されたテントの中へと連れ込んだ。
「何を……っ!」
問い質す暇も無く、地面の上に投げ捨てられる。慌てて身を起こしてレイピアに手を掛けるが、躊躇いもなくその手は蹴り上げられ、そのまま足で胴体を踏まれて地面に固定された。── 次の瞬間、左腹部に焼け付くような熱い衝撃が走る。
一瞬、自分でも何が起こったのか分からなかった。顔を上げると、セフィロスの愛刀である長刀正宗が視界に入る。その刀の先を辿り、ようやくそれが自身の身体に突き立てられているのだと理解した。
── セフィ……ロ、ス」
状況を把握したジェネシスの額には、脂汗が滲む。
正宗は、赤い革のコートをも突き破り地面の奥底まで深々と突き刺さっている。刀で地面に縫い止められたジェネシスは身じろぎひとつ出来ない。腹部からじわじわと血液が染み出る気配を感じる。だが、正宗のその鋭利な刃が傷口を塞ぐようにぴたりと吸い付き、過剰な出血は抑えられていた。
セフィロスは屈むと、ジェネシスのベルトのバックルに手を掛けた。かちゃりかちゃりと金属が軽くぶつかる音は耳まで届くが、身を起こす事が出来ない為何をしているのか視認は出来ない。
だが、何をしようとしているのかは察しが付いた。しかし、抗えようはなかった。下手に身体を動かそうとすれば、正宗がこの身を引き裂くであろう。

あの晩の事が脳裏に過ぎって、ジェネシスの身体が無意識にがくがくと震える。
あの日、セフィロスはかつえていた。
更なる血を、更なる肉を求めてジェネシスを貪った。
そして、あれからジェネシスは、セフィロスに逆らえない。

ジェネシスが口を噤んでしまったので、アンジールには結局、二人の間にある事情がどんなものかは分からなかった。
しかし、二人がただならぬ関係であるという事はジェネシスの様子から充分察しが付いた。
ただのセフレだとか情人だとか、そんな一般的な言葉で説明がつくような間柄ではない。
異質な何かを、感じ取っていた。

ある日、アンジールはトレーニングルーム内で二人に遭遇した。
アンジールが室内に入った時には、既に事が済んだ後だったらしく、セフィロスは革のボトムのジッパーを上げているところだった。
一方、ジェネシスは部屋の角に蹲り、衣服が乱れたままの状態で、両腕で自分の身体を抱き締めるようにして震えていた。
アンジールは、まず幼馴染みの様子が心配で傍に近付き、屈んで状態を確認する。
今回はインナーだけではなくコートも一部引き裂かれているようだ。恐らくこのコートも廃棄するしかないだろう。一体、今まで何着のコートを駄目にされているのか?
アンジールが近付くと、ジェネシスの手が縋るように伸びてきてアンジールの服の一部を掴む。顔は蒼褪め、アンジールの服の裾を掴む手は小刻みに震えている。
「セフィロス! いくら何でもちょっと度が過ぎるんじゃないのか!?」
思わず怒気の籠った声でなじる。こんな怯えた様子でジェネシスに縋られるのは、子供の時以来だ。
今まで、二人の関係に口出しはしないよう努めていたが、流石にこれは見過ごせない。
だが、セフィロスは顔色ひとつ変えずに言い放つ。
「同意の上での行為だ。何の問題がある?」
重ねて言い募る。
「そうだろう? ジェネシス」
アンジールがその言葉を受けて、ジェネシスの顔を見遣ると一旦アンジールの顔を見詰めてから、微かに目蓋を伏せ頷いた。
場に重い沈黙が漂うのも気にせず、セフィロスはさっさとトレーニングルームから出ていく。
「アンジール……」
消え入るような声で名前を読んでジェネシスは縋り付いてくる。
アンジールは、雷や地震に怯える子供を慰めるように幼馴染みを抱き締め、その額に柔らかくキスを落とす。
「俺に何か……力に成れる事があったら、言ってくれ」
アンジールは幼馴染みとしてそれくらいの言葉しか、掛けてやる事は出来ない。
しばらく無言でアンジールの顔を見詰め、やがてジェネシスは諦念を含んだ口調で言った。
「何も、無かったように……いつも通りに、振る舞ってくれ」
それは、ある意味で否定の、ある意味で肯定の言葉だった。
「!? どうして── ?」
「言っただろう? 真剣じゃないんだ。あいつは……。身体しか、要らないと── そう言った」
ゆるりと弱々しく立ち上がったジェネシスは、手を貸そうとするアンジールの手を軽く払って、一人でトレーニングルームを出て行った。

手に入らない──
手に入れたくない──

何も無かったように振る舞って欲しい── 例え幼馴染みの懇願と言えど、聞き入れられない事がある。
アンジールは、たまたまセフィロスとミーティングで同席した時、尋ねた。
場には、二人きりだった。
「お前も承知だと思うが、セフィロス。俺は、ジェネシスとは親友である以前に幼馴染みだ」
セフィロスは、黙して目線だけをアンジールに移動する。
「幼馴染みとして、お前達の事はこれ以上黙って見ていられない。ジェネシスの事……本気じゃないなら、もう放っておいてやってくれないか?」
セフィロスは、クッと苦笑を洩らして。
「何故、本気じゃないと── ?」
「身体だけ、なんだろう!?」
抑えたつもりだったが、アンジールの声は苛烈さに満ちていた。
「親友として頼む。ジェネシスをもてあそぶような真似は、やめてくれ」
セフィロスは、はっきりとした返答はせずに口許に冷笑を浮かべるだけだった。
丁度、その時、他のソルジャー達がブリーフィングルームに入ってきたので、話し合いはそこで立ち消えとなった。

それでも、それからしばらくの間は神羅ビル内で二人の姿を見掛ける事が少なくなったので、幾らか改善されたのだとアンジールは思っていた。
英雄にも、多少の良識はあるのだと信じたかった。
その時、不覚にも多忙だったアンジールは親友達の任務までチェックしていなかったのだ。

数週間後。
アンジールがジェネシスの部屋を訪ねると、掃除でもしていたのか荷物の整理をしていた。
だが、処分する予定らしき荷物の山はよく見ると室内で使う物ではなく、任務で使うような物ばかりだった。
その山の中に赤い革のコートが幾着か紛れていることに気付き、アンジールは戦慄を覚えた。
「まさか、セフィロスと同じ任務だったのか?!」
セフィロスと最後に会ったミーティングでは、二人の任務は別々だった筈だ。
「ああ、急遽変更になったんだ。この会社じゃ英雄の我が儘は簡単に通る」
ジェネシスは、口端を上げ皮肉めいた笑みを洩らす。
「これを……全部、処分するのか?」
何気無く尋ねると、吐き捨てるように答えが返ってきた。
「精液と血液が付いた物は、もう使いたくない」
アンジールは心の裡で深く嘆息した。
英雄への進言は聞き入れられなかったのか。いや、或いは、聞き入れられた上での結果なのか?
ある程度、不要品の整理が片付いたジェネシスは無意識に左腹部を左手で押さえる。回復魔法でとうの昔に跡形もなく消えた筈の正宗を突き立てられた箇所が、今でも時折古傷のように痛む。
ちらりと不要品の山を一瞥して、吐きそうに口許を押さえるジェネシスはもうそれらに触れるのも嫌そうだった。
見兼ねたアンジールが結局あとの処分を買って出た。

冴え渡るような月の光がじわじわと忍び入るように、その闇との境界線を移動させ、室内を脅かす。
死と恐怖の記憶を呼び覚ます。

分別などで少し手間取りつつもジェネシスの不要品を処分し終えたアンジールが、ジェネシスの部屋に戻ってくると先ず目に入ったのは幼馴染みの姿ではなく、銀の英雄の後姿だった。
ジェネシスの身体を窓近くの壁に押し付け、その顎を捉え上向かせている。
アンジールの来訪にセフィロスの抑え付ける力が緩んだのだろう。ジェネシスは、セフィロスの腕を振りほどくとドアの方に駆けてきた。ドア近くで立ち尽くしたままだったアンジールは、当然のように幼馴染みに触れようと手を差し延べる。と、ジェネシスはその手をも振り払った。
「触らないでくれ! 吐きそうなんだ」
言ってジェネシスは、室外へと出て行った。何処に向かったのかは分からない。
こちらを向いて窓を背面に立つ英雄の長い髪は月光を受けてプラチナに輝く。
暫しの静寂の後、セフィロスはゆっくりとドアに向かい相変わらずの優雅さで半開きのドアに手を添えて、無言のまま出て行こうとする。その後ろ姿にアンジールは声を掛けた。
── 本気、なんだろう?」
「何の事だ?」
セフィロスは僅かに振り返って反応する。
「決まってるだろう、ジェネシスの事だ」
セフィロスは、少し目を細めアンジールを流し見る。くつと短く笑いを零し、低い声が冷たく響く。
「あいつには、黙っててくれ」
「どうして……?」
セフィロスは答えずに踵を返すと室内に戻り、窓を通して月を仰ぎ見た。
「手に……入らないのが、良いんだ」
すっと左手を、冷淡な光を湛える月に向かって差し出す。その姿は塑像のような完璧さを備えていた。

水面に浮かぶ月のように、決して触れられない。手が届かない── 高潔なる魂。
どれ程穢しても、どれ程貶めても、決して揺らぐ事なく燦然と光り輝く。

「身体だけでいい。心は── 要らない」
冷たく低く呟いて、差し出した左手でくうを掴んで握り締める。と、振り返りアンジールの傍まで寄ってきて牽制するような笑みを以って一瞥する。
冷涼な表面おもてに隠された、その身の裡に潜む熱く滾るような激情。
アンジールは最早何も言えず、セフィロスはそれ以上は何も言わず。
怜悧な月の光が支配する部屋に、アンジールただ一人が残された。

end
2009/2/25