宵闇
ポケットを探り、アンティークの装飾が施された古めかしい鍵を取り出す。
それは神羅屋敷の地下室へと続く、階段室の扉を開ける鍵。会社から無断で持ち出した物だ。
無断とは言っても、英雄である俺の所業を咎める者など居ないのだが。
普段、閉ざされているからだろう。あまり使用する者がいない地下室への階段は、黴臭く埃が積もりあちらこちらに蜘蛛の巣が張られていた。
じめじめとした洞窟を通り地下室まで辿り着く。地下室の奥にある書斎が俺の目的地だった。
実験室と思しき部屋を無視して通り過ぎ、真っ直ぐ書斎へと向かう。古びた重厚な扉に手を掛けて押し開ける。このドアも長く使われていなかったのだろう。開ける時に、ぎぎと軋んだ音が重く響いた。
書斎には天井まで届く高さの本棚が、壁面を埋め尽す如くぎっしりと並べられている。本棚にはほぼ隙間無く本が納められており、ぱっと見ただけでもかなりの蔵書量があると思われた。
俺は慎重に書斎の中央辺りまで歩を進めると、徐に振り返ってやった。この神羅屋敷の地下室までの道のりを、尾行して付いて来た者がいたからだ。
紅い革のコートに身を包み、色褪せた赤髪を掻き上げながら、かつての親友は隠れる素振りも見せず悪びれた様子も無く、迷い無く俺の傍まで寄って来た。
「何しに来た?」
拒絶を込めた低い声が束の間、場に響く。が、周囲の壁面を覆い尽す書籍群が音を吸収するのか、たちまち静寂が場を支配する。
「聞かなくても解ってるだろう?」
ジェネシスは、相変わらずの不遜な態度でやや口端を上げてみせる。
確かに言われなくても解ってはいた。つい先達て、ニブルの魔晄炉で彼は俺の細胞が欲しいと今更な要求を訴えてきたからだ。目的はそれしか考えられない。俺にとってふざけた要求でしかなかったそれは、完全に関心の対象外だった。
「何も、ただで細胞を寄越せとは言わない」
静謐な空間にブーツの音が鈍く響く。ジェネシスは、ゆっくりとにじり寄り更に俺に近付くと、意味深な笑顔を湛えた。
「どうだ? ここは取引きといこうじゃないか」
ジェネシスはゆっくりと俺の周囲を旋回するように移動し、一方的な提案を持ち掛けてくる。
「俺を、抱きたいんだろう?」
ふと、立ち止まると顎をやや上げて、煽るように続ける。
「俺を組み敷いて犯して、征服したい── そう思っているんだろう?」
一層妖艶な笑みを浮かべ、艶を帯びた視線でこちらを流し見る。
「フンッ、今まで散々俺を拒んできた癖に、細胞の為に身体を許すと……?」
俺は非常に醒めた、見下す様な視線と共にジェネシスを嘲った。
ジェネシスが1stとなり親友と呼べる程度には親しくなった頃。俺は時には冗談めかして、時には真剣な面持ちで以ってジェネシスに同衾を持ち掛けていた。
英雄である俺の事を勝手にライバル視していたジェネシスが、本当は俺に思慕の念を抱いていると知ったからだ。普段、生意気にも俺に対抗心を燃やすジェネシスを、己れの腹の下で喘がせて屈服させてみたかった。
だが、思惑に反してジェネシスは、俺の誘いに対して決して首を縦には振らなかった。「あんたと、身体の関係を持つなど御免だ」と、素気無い返事を何度聞かされた事か。
その頑なだったジェネシスが、俺の細胞を欲するあまり凌辱を甘んじて受けようと言うのだ。思わず口許が緩み、僅かにクッと喉を鳴らす。
面白い。
喜んで取引とやらに応じてやろう。
俺は強引にジェネシスの腕を掴んで引き寄せると、そのまま本棚に押し付けてやった。顔を近付けて、先ずは唇を奪う。
大人しく口付けを受けるジェネシスは、どうやら本気で俺に身体を任せるつもりらしい。抵抗の素振りも全く見せない。身を離して、つい揶揄いの言葉を掛ける。
「お前も堕ちたものだな。プライドよりも命が大事か?」
「そうじゃない、セフィロス……」
ジェネシスは静かに呟くと、自分の方から腕を伸ばし俺の首に巻き付けてきた。一気に顔と顔の距離が近くなり、間近で見詰め合う。
「俺がお前の誘いを断わり続けたのは、お前に抱かれるのが嫌だったからじゃない」
改まった様子で、その眼差しは至極真剣だった。
「俺は……お前には不可侵の英雄でいて欲しかった。男と身体の関係を持つなんて、そんな低俗な行為に身を染めては欲しくなかったんだ……」
少し瞼を伏せて、心情を吐露するジェネシスの表情には、英雄の誘いを断わり続けなければならなかった当時の苦悶が滲んでいた。
「それが、今になって気が変わったというのか? ただの方便にしか、聞こえんな」
「変わったのは、お前の立場だ」
ふっと柔らかい笑みを見せて、ジェネシスは俺の頬に軽く唇を寄せる。まるで、親愛の情を込めたキスのようだった。
「あんたは、もう高尚な英雄じゃない。俺と同じモンスターだ」
相変わらず、嬉しそうな、加えてどこか見下したような笑顔で、俺の神経を逆撫でる。
俺はジェネシスの言葉を聞き流すように、ただひたすら一点を見詰めていた。
「ククッ、モンスター同士で身体を慰めあう事には何の問題も無いだろう?」
ジェネシスが、更に誘うように俺の身体にまとわりつき、今度は唇へキスを仕掛けようとした瞬間。俺は反射的に片手を振り上げていた。
がつ、と音がして、ジェネシスの左の頬が赤く腫れ上がる。一応、加減して利き手を使わなかった事を感謝して欲しい。だが、それ以上の温情は掛けてやる理由が無い。劣化しているとはいえ未だ美貌といえるその顔に、殴られた痕跡が痛々しく残る。
口中の血液を唾液と共に床へと吐き出したジェネシスの襟首を掴むと、俺は無理矢理その身体のコントロールを奪い、近くの書斎机の上に上半身を横たえさせた。
身体の背面全体に感じる硬質的な感触は、衣服越しであっても煩わしいのだろう。
「出来れば、もっと柔らかいベッドの上で楽しみたいが……」
飽くまでも不敵な笑みを湛えて、苦言を呈す。むかついてその笑みを消し去ろうと、腹部にも更に一発加えてやる。流石にジェネシスも、ぐうと苦し気な呻き声を洩らした。
「お前が、我が儘を言えた立場か?」
反論が出来ぬように胸倉を掴んで、喉元を圧迫する。暫し押さえ付けてから手を離してやると、ジェネシスは目元に僅かな水分を湛えながら、げほげほと噎せていた。
己れの目的遂行の為には俺の機嫌を損ねるのは得策ではない、と判断したのだろう。苦痛に歪んだ表情を無理矢理笑顔に変え、一転艶めいた瞳をこちらに向けてくる。
「ベッドまで行く時間が惜しいか? せっかちな奴だな」
くすくすと小さく笑いを零し。揶揄うように動く紅い唇が一段と艶めいて、情欲を誘う。上唇をペロリと舐め、熱い視線を俺に送りながら、自らその複雑なベルトのバックルを外し始める。
ベルトを外す仕草も、一足ずつ丁寧にブーツを脱ぎ床に落とす動作も、腰を浮かしゆっくりとレザーパンツを下ろし掛ける手付きも、その間真っ直ぐに俺に向けられる眼差しも、何もかも全てが酷く煽情的だった。
俺は思わず苦笑を洩らす。
あんなにも俺を拒絶し続けた男が、今は俺をその気にさせようと妖艶なる媚態で以って全身で俺を誘ってくる。その様は浅ましく、痛ましく、いっそ憐れだった。
この期に及んで俺を焦らそうというのか、着衣を脱ぐ動作は飽くまでも緩慢だった。ジェネシスの思惑通りに事を進めたくない俺は、脱ぎ掛けのレザーパンツに手を掛けると、下着ごと一気に引き下ろしてやる。
ジェネシスは一瞬目を見開いて驚いたような顔を見せたが、直ぐに艶かしい表情に戻ると俺の腰を捉えるかのように脚を絡めてきた。
「ククッ、お前がこんなに積極的だったとは、な」
呆れるあまり、哄笑が洩れる。
「俺だって、本心ではお前に抱かれたかったんだ。積極的にもなるさ」
ジェネシスは口許に笑みを湛えたまま、冗談とも本気とも付かない言葉を軽い口調で言い放った。
俺も自分でベルトのバックルを外し、ファスナーを下ろすと、ジェネシスの腰骨辺りを固定するように手を添える。応えるように更に俺の腰に巻き付いてくる白い脚にすっと手を滑らせてなぞる。
「既に劣化しているのが惜しいな。まだ綺麗な状態の時になら、もっと優しくしてやろうという気になったかも知れないが……」
膝の辺りから太腿の付け根の方に向かって、つつと手を移動させると、そのまま後孔まで一気に向かい辿り着く。潤滑剤も何もない状態で、抉るように指を突き立ててやった。宣言通り、優しくしてやる気など無い。
碌に解しもせずに男が男を受け入れるなど、苦痛以外無いだろう。だが、構うものか。この男は快楽が欲しいのではない。俺の細胞が欲しいのだ。
案の定、指で後孔を抉られて苦痛の表情を露わにするジェネシスに、更に追い打ちを掛けるように己れの屹立した雄を突き立てる。ジェネシスの表情が更に歪み、俺はもっとその苦痛に満ちた顔を眺めていたかったのだが、一つだけ誤算があった。
狭い孔内に無理矢理に侵入しようとすると、自身も過剰に締め付けられて痛いのだ。ジェネシスを甚振って愉しむどころではない。俺は仕方なく、一度途中まで捩じ込んだ自分自身をそっと引き抜く。
どうしたものかと思案していると、ジェネシスが自分のコートの内ポケットを探り液体の入った小瓶を俺に差し出してきた。中身は、粘着性を帯びた透明な液体。
「フッ、随分と用意周到だな── 」
「当たり前だ。俺はお前とコトに及ぶつもりで来たんだからな」
ジェネシスは目端に僅かな涙の片鱗を残しながらも、乾いた嗤いを見せる。
ジェネシスが差し出してきたその小瓶に、一旦手を伸ばし掛けたものの俺は敢えて受け取らなかった。俺の腰にまとわりつくジェネシスの両脚をやんわりと外してやり、ジェネシスから離れるように二、三歩後退する。
怪訝そうに俺を見詰めるジェネシスの顔には疑問符が浮かんでいた。俺は悠然と腕を組み、片手を顎に添える。
「俺に手間を掛けさせるな、自分でヤれ」
俺の細胞を欲しいというのだから、これぐらいのサービスはあって然るべきだろう。
「俺はここで、眺めさせてもらう」
突き放すように告げると、ジェネシスは一瞬眉をひそめ、その表情に不快さを忍ばせたが、やがて諦めたように瞼を閉じると小瓶を持った手を握り締めた。もう片方の手で慎重に小瓶の蓋を開けると、中身を右手の平に取る。
絡み付く対象が居なくなり、やり場の無くなった両脚の膝を折り曲げると、踵を書斎机の縁に掛けてバランスを保つ。俺にちゃんと見えるようなアングルに調整しているあたり、俺の意図は明確に理解してくれているらしい。血が頭に上りやすいところもあるが、基本的には聡明な男だ。そういう部分は好感が持てる。
右手を自身の後孔まで持って行き、ローションを使いながら自分で解そうと苦心している様は、じつに良い眺めだった。先程、俺が強引に突き立てた所為か少し裂けてしまったのだろう。時折、苦痛に顔を歪めながら、それでも俺を受け入れる為の作業をやめる事はなく、健気な程に専心している。意外に可愛いところがあったものだ。
ジェネシスの自分勝手で一方的な要求に、著しく害していた気分も幾らか晴れてきたところで、俺も見ているだけでは詰まらなくなってきた。
再び、書斎机の方に近寄ってジェネシスの膝頭あたりを捉えると、後孔を解す手を無理矢理に退かす。
恐らく、まだ充分には解されていないのだろう。ジェネシスの表情にはあからさまな焦りが見えた。だが、勿論構わず突き入れてやった。
「くっ……」
呻き声を必死に押さえようとしているところが、またいじらしい。今頃になって、俺はこの男が愛しく思えてきた。ここまで献身してくれるのなら、細胞ぐらい分け与えてやっても良いような気がしてくる。
俺の方はというと、ローションの助けもあって割りとすんなりジェネシスの中心にまで到達する事が出来た。
「嬉しい……」
苦痛ばかりだろうと思っていたジェネシスが、ふと意外な呟きを洩らす。こんな状態でも感じているのかと思ったが、どうやらそういう訳でもないらしい。
「お前とずっと、こうしたかった。ひとつに……なりたかった」
「今更、何を── 」
馬鹿馬鹿しくて聞いていられず、唾でも吐きかけてやりたい気持ちになる。少しは情けを掛けてやろうと思ったのに、折角の良い気分が台無しだ。
だが、俺の気持ちなどお構いなしにジェネシスは続けた。相変わらず、自分勝手な奴だ。
「お前が俺のところまで堕ちてきてくれたから」
いつもの叙事詩を読むが如く、朗々と一方的に語り続ける。
「お前と同じ場所に、同じ高みに行きたかった。だが、何度挑んでも俺はお前には敵わなかった」
俺もいつもの様に黙って聞いてやる。
「でも、今は……同じ位置にいる。同じ場所に立っている。だから、こうしてお前を受け入れられる、セフィロス」
まるで、愛おしいものでも見詰めるような熱の籠もった瞳を俺に向ける。
俺は徐に片手をジェネシスの顔に伸ばすと、頬骨ごと鷲掴み口を塞いでやった。
「お喋りはその辺にしてくれ」
口を塞いだまま、急激に腰を動かし始める。再びジェネシスの顔は苦痛で歪み、俺の指の隙間からはくぐもった苦悶の声が洩れ出てくる。
この時の俺には、ジェネシスが俺に何を伝えようとしているのか、どんな想いで俺を受け入れているかなど、全く興味の範疇にはなく、理解しようとさえしていなかった。
細胞を与える代わりに、身体を与える。
ただ、それだけの取引だと俺は捉えていた。実際、ジェネシスも「取引」という言葉を使っていた。
激しい律動で以って壊してしまいそうな程にジェネシスを責め立てておきながら、俺の心は酷く冷めていた。
何故、あんなにもジェネシスを犯したいと思っていたのか。現実にジェネシスを犯しながら、過去の自分を嘲りたくなる。手に入った途端興味が無くなる、まるで幼い子供のようだ。
きつく目を閉じて、苦痛に耐え続けるジェネシスの顔を見るのも飽いてきた俺は、律動を止め口許を押さえていた手を外してやった。
口許を解放されて、不足した酸素を補おうとしているらしく、たちまちジェネシスの呼吸は荒くなる。
ゆっくりと律動を再開してやると、多少は潤滑剤で解した成果があったのか、或いは俺が押さえ付け強引な抽挿を止めた所為か(恐らくその両方であろうが)、ジェネシスは先程までの苦痛は感じていないらしく、やがて遠慮がちに甘い声を洩らし始めた。
ジェネシスを陵辱し苦しめ貶めて、自分だけが愉しむつもりであったが、僅かにでも感じている様子のジェネシスを目の当たりにすると、もっと啼かせて、その艶のある声を引き出したくなった。俺の律動により、ジェネシスが快楽を覚え、官能の徴を顕すのが、ぞくぞくする程の征服感を俺に与えた。
急に優しくされて、多少は戸惑っているようだったが、所詮は快楽に抗えない。
遠慮がちだった嬌声は、次第に大胆なものへと変化し、目許には苦痛を与えられた時とはまた違う涙が滲む。
「ぁ……ああっ! セフィ、ロス」
最早、硬質な机の上である事もなんら差し障りにはなっていないようだ。大きくなってきた快感を受け止めきれないのか、縋るものを探るかのように手を彷徨わせ、机上の物を幾つか床に落下させる。
「ん……セフィロス、好き……だ」
こんな世迷い言が洩れる程に、理性を失っているのだろうか。初めて男を受け入れて、そこまで快楽を得られるとは思えない。俺の誘いを断っていたのは、他にイイ奴がいたからなのかも知れない。
俺は別段ジェネシスに特別な感情を抱いていた訳ではないが、そう考えるとそれはそれで面白くなかった。
一気にぐっと腰を押し進め、無理矢理ジェネシスの最奥にまで入り込む。同時に、ひっと小さく悲鳴が上がる。流石に最奥までは慣らされていないようだ。ジェネシスの額には、うっすらと脂汗が滲む。
ジェネシスに、苦痛と快楽を与える事が、何故こんなにも愉しいのか。
自分でも、無意識に口端が上がり顔が笑みを形作っているのが分かる。これでは、俺がまるでジェネシスの虜になっているかのようではないか。
癪に障った俺は、その後も容赦なくジェネシスの最奥深くまで押し入り、責め立て、苦痛により溝が深くなっていくジェネシスの眉間の皺を見詰めながら、俺の欲望をその体内に一滴残らず注ぎ込んでやった。
俺が身を離しても重厚な格調高い書斎机の上で横たわったまま、ジェネシスは暫く動こうとしなかった。俺があまりにも強引に責め立ててしまったから、苦痛で動けなかったのかも知れない。その目端には僅かに水分を浮かべているようにも見えた。
ジェネシスを無視して、俺は俺で自分の身支度を調える。ふと、手にぬるりと嫌な感触を覚えた。それだけで、酷くうんざりとした気分になった俺は、早くこの手の汚れを落としたくて隣室へと移動する。幸い、水道はちゃんと生きていて使用する事が出来た。
俺が手を洗って書斎に戻るとジェネシスの方も既に身支度を済ませており、軽く机に寄りかかるようにして立っていた。俺を待ち構えていたらしく、戻るなり左手を俺に向かって突き出す。
「早く、お前の細胞を……。約束だろう?」
「約束? なら、果たした筈だが……」
俺の言葉にジェネシスは訝しげな表情を見せるが、俺の方が得心がいかない。細胞なら、先程嫌という程与えてやった筈だ。俺の、精液を── 。
だが、その旨を伝えてもジェネシスは尚も食い下がる。
「完璧なお前の、完璧な細胞じゃなきゃ駄目なんだ!」
右手を自身の胸に当てて、切々と訴えてくる。どうやら染色体が半分しかない精液では完璧な細胞とは言えないらしい。だが、細胞は細胞だ。何故、これ以上醜悪なモンスターと化したかつての親友に俺の細胞を与えてやらなくてはいけないのか。
「クソッ! だから、あんたに抱かれるのは嫌だったんだ!!」
俺がもうこれ以上細胞を提供する気がないと分かると、途端に悪態を吐き始める。外見だけではなく、心根も醜悪になったのか、元からの性格か。
「俺が……お前に抱かれたのは、細胞が欲しかったからじゃない」
斜め下方を向いて、憂い顔で続ける。
「勿論、お前の細胞も欲しい。俺の劣化を止める為には、どうしても必要だ。だが……」
一呼吸置いて。
「俺が劣化を止めたいのは、お前の為だ── 」
突拍子もない論理の飛躍に、流石に俺も顔を顰めた。あからさまに態度に出したので、ジェネシスにも伝わっただろう。だが、全く気にも留めない様子で、ジェネシスは更に続けた。
「お前が……好きなんだ。セフィロス」
取って付けたような唐突な告白に、俺はやや目を眇める。俺の細胞が欲しいあまり焦っているのだろう。言動が支離滅裂だ。いや、或いは劣化の影響でまともな思考が出来なくなっているのかも知れない。
「こんな風に、はっきり言っても、お前の心には届かないと解っている。だから、お前の誘いを断り続けた。だから、お前に抱かれたくなかった」
ジェネシスは一旦言葉を切ると、「俺が、辛くなるだけ、だから……」消え入るような声で、最後にそう付け加えた。
そこでようやく俺は、ジェネシスの頬に伝うものが痛みによるものではないのだと気が付いた。
最中に俺の名を呼び、好きだと言ったのも、快楽に浮かされた故ではなかったのか。
「……ジェネシス」
咄嗟になんと声を掛けて良いのか解らず、取り敢えず名前を呼んだ。
その瞬間、ジェネシスはぐっと苦しそうに呻くと、そのままその場に蹲った。裡から込み上げる吐き気に耐えるように、口許には手を当てている。
ジェネシスの背中に生えている片翼は、本人の意志で自在に出せるものだと認識していたのだが、蹲るジェネシスの背中からはめきめきという音が聞こえ、コートの上からでも何かが蠢いているのが判る。それは、ジェネシスの意志とは無関係な肉体の変化に見えた。
「クク、完璧な細胞じゃなくても、影響は絶大らしい……」
自嘲めいた翳りのある笑みを湛えながら、片手で自身を抱き締め呟くジェネシスは何事かを悟ったようだった。
少しの間蹲ってから、本棚に片手を添え自身の身体を支えるようにしてゆっくりと立ち上がる。最早、ジェネシスは俺の方を見ようとはしなかった。
己れの身体が現状よりももっと醜悪な何かへと変容しつつある事を察していたのだろう。俺にその姿を見られたくないのか、一転、足早にこの場から立ち去ろうとする。だが、下半身に力が入らないらしい。よろよろと危なっかしい足取りで、時折壁に手を付きながら、しかし外界へと向かうその歩調は俺への未練を完全に断ち切ったが如く毅然として迷いが無かった。引き換え、俺の胸中はぽっかりと空洞が空いたような巨大な虚ろが支配する。
俺は無意識に、ジェネシスの背中に向かって左手を差し伸ばしていた。きっと、俺がここで一言「細胞をやる」と言えば、ジェネシスを引き止められたに違いない。だが、俺は何も言葉を発する事が出来ず、ただ去り行くジェネシスの後ろ姿を見詰めるだけだった。
俺は一体ジェネシスに、何をしてやれただろう。
ジェネシスが、真に何を求めて俺の下へやってきたのか、奴がどんな悲壮な覚悟でこの神羅屋敷の地下施設までやってきたのか、俺は何も解っていなかった。理解する気もなかった。
俺は、当初の目的であった神羅屋敷の膨大な資料の山を目の前にしながら、気が付けばジェネシスの事ばかり考えていた。この資料の山を読めば、俺達に行われた実験── ジェノバプロジェクトの事も、ジェネシスの劣化を抑える方法も見付かるかも知れなかった。だが、幾ら資料に目を通しても、何も頭に入ってこなかった。
漠然と理解出来たのは、俺がジェノバ因子を用いて造り上げられたジェネシスやアンジール達よりも優れたモンスターだと云う事。
つまり、一番の化け物は俺であった── という事実だ。
その俺の細胞を、それも中途半端に与えられて、ジェネシスは辛うじて保っていた人間のような姿形も維持出来なくなってしまったのかも知れない。
俺の心の片隅に、ふっと小さな疑問が湧き起こる。
小さな疑問は、穏やかな水面に投じられた一石のように、見る見るうちに絶望という名の大きな波紋を形成していく。
夢を失ない誇りを失ない親友を失ない、神羅も同胞をも裏切り、何もかも失なったのはジェネシスだと思っていた。
だが、本当に何もかも失なったのは、俺自身ではないのか。
俺を頼ってプライドさえもかなぐり棄て縋り付いてきたジェネシスに、俺は救いの手を差し伸べる事もせず、一方的な暴力だけを与え無下に突き放した。
今、俺の手に残るものは何も無い。
その事に気が付いてしまった俺の心は、モンスターなどよりももっと醜悪なものへと形を変え歪んでいく。
あの時、もっと早くジェネシスの気持ちに気が付いてやれれば、せめて最後くらい親友としてジェネシスの狂おしい程の切願を叶えてやれば良かった。あいつの最後の我が儘を無条件で聞いてやれば良かった。
あの救いを求める手を叩き落とした瞬間に、この俺自身も大事なものを全て失なったのだ。
混沌とした闇が俺の背後に迫る。
呑み込まれるのも時間の問題だろう。
だが、俺は微動だにせず其処に立ち竦み、宵闇を待った。
end
2009/9/6