代償-quid pro quo- (後編)

ジェネシスがトレーニングルームで受けた傷は、なかなか治らなかった。彼の身体が既に劣化に蝕まれていたからだ。やむを得ず医務室に入院させて、暫く様子を見たが一向に良くはならなかった。何らかの手を打つ必要があった。
先ずは、アンジールからの輸血を試みた。当時は事情を詳しく説明する事は出来なかったが、あの時アンジールを選んだのは、アンジールもジェネシスと同じく私が造り出したモンスターだったからだ。親和性を重視した。
輸血後は概ね怪我の状態も良くなり、劣化も止まったのではないかと感じた。輸血自体は有効な手段であったと思う。
これは、こちらの勝手な推測だが、この頃、君は殆どジェネシスに会っていなかったのではないか?
医務室に居た期間は勿論の事、ジェネシスが医務室から出た後も、君はジェネシスの身体を気遣って何もしなかった。違うか?
アンジールの血液は、やはり不完全だったのだろう。私は完璧だと思っていたが、実際は彼も劣化していた。
劣化した血液では、当然劣化を抑えられない。結局アンジールの血液は一時的にしか効かず、その後、再びジェネシスの劣化は進んだ。君も良く知っているように、翼が生えてサンプルルームに入れられた頃の話だ。
君はわざわざサンプルルームまで、ジェネシスによく会いに行ってくれたね。
私は、科学部門の権力争いに負けた立場だ。だから、科学部門のスタッフには完璧な英雄である君が、私の造り上げたジェネシスに執着する姿を快く思えなかったんだろう。出来損ないのモンスターに執心する英雄── と、君を侮辱するような口さがない者達も多くいた。だが、あれは非常に重要な行為だった。あの頃、ジェネシスの劣化が落ち着いていたのは、君のお陰だと思う。
しかし、突如長期任務が入ってしまい君はミッドガルを離れざるを得なくなった。その為に、君とジェネシスは暫く会えない期間が続いた。途端にジェネシスの劣化も進んだ。サンプルルームの粗末な施設では管理出来ず、結局医務室に逆戻りだ。
君は長期任務から戻ると直ぐにジェネシスに会いに行った。実はあの後、ジェネシスの劣化は再び沈静化したんだ。暫くの間は……な。
だが、あの後ジェネシスは君との面会を拒んだ。あれからずっと会っていないだろう? 劣化が酷く進んだのは恐らくその所為だ。

「つまり、どういう事だ?」
ホランダーが言うところの推測は当たっていた。その他の事も全て、事実と合致している。おかしなところはない。
だが、彼が言いたい事の真意がセフィロスには分からなかった。
「ジェネシスの劣化を抑えていたのは、十中八九、君の精液。── だが、染色体が半分しかない不完全な細胞では劣化を完全に止めるまでは至らないようだ」
残念そうにひとつ溜め息を吐いてから、ホランダーは改めて語気を強める。
「だが、君の血液ならば、完全にジェネシスの劣化を止めてやる事が出来るかも知れない。いや、きっと出来る」
そして、ちらりとセフィロスの顔を窺うように一瞥すると、一呼吸置いて少し言い難そうに続けた。
「何故なら、君は劣化していない。完璧── だから」
「どうして、俺が劣化しているかどうかなんて話になるんだ?」
再び、理解不能な言葉を突き付けられ、セフィロスは不快そうに眉をひそめる。
「それは、君が……──


静かな空気音を立ててドアが開かれる。
颯爽と靡かせて入ってくる銀の髪。此所に来るのは一体、何週間、いや何ヵ月振りだろうか。本当に久しぶりにセフィロスは医務室を訪れた。
柔らかな西日が射す医務室のベッドに横たわるジェネシスは、沈み掛けた太陽光の影響もあってか、酷く色褪せて見えた。
実際、劣化が大分進んでいるのだろう。愛しい恋人の姿の筈なのに、そのあまりの変貌ぶりに目の前にすると胸が痛くなる。
外見など関係ない。
そう思っていた。実際にセフィロスがジェネシスを好いた理由に、外見は関係ない。だが、恋人として付き合う内に、ジェネシスを想う気持ちはより深くより重く加速した。今はその外見も含めて全てが愛おしい。
だから、ジェネシスの外見にあからさまな劣化の兆候が現れていると、愛した人の何かが失なわれてしまったようでやるせない。
医務室の入り口近くに佇んだまま、セフィロスは暫くの間黙って恋人の寝姿を眺めていた。
何者かが居る雰囲気を察したらしく、ジェネシスは薄目を開け、ゆるりと辺りを見回す。身を起こす動作は弱々しいが、異常を感じれば直ぐに警戒を行う。その過敏な神経は、劣化の進んだ今でも衰える事のない元ソルジャー1stたる能力の片鱗を感じさせた。
「セフィ……ロス?」
面会を拒絶している筈の恋人の来訪に、ジェネシスは戸惑いの声を発する。
静かな医務室内に、かつりこつりと靴音が響く。セフィロスはゆっくりとベッドの傍らに近付き、ジェネシスに触れられるくらいにまで距離を縮めた。
そっと手をかざして、髪を優しく撫でてやる。見上げるジェネシスと見下ろすセフィロスの視線が交わって、セフィロスはその目線の距離をも縮めると、ジェネシスの唇に自分のそれを触れ合わせた。
「やめ……」
幾分か蒼褪め、震える瞳と声とで訴え掛けるジェネシスに、セフィロスは落ち着いた低い声で諭す。
「カメラなら切ってある。誰も見てない」
ジェネシスが天井の角に視線を移動させると、いつも光っている稼働中を示す赤いランプが確かに消えていた。
「なっ、どうやって……?」
驚きのあまり瞠目して見詰める。
例え神羅の英雄でも拒否出来ない事がある。それは、科学部門によるカメラでの監視。
科学部門の研究関連の施設には全て、サンプルルームは勿論の事、この医務室に至るまでもカメラが設置されている。観察用だと連中は言うが、監視用である事は明白であった。
「代償を払った──
血液の提供。
ジェネシスとの、真の二人きりの時間を持つ為には些細な代償だった。
陽が翳り、明度の落ちた室内にはセンサーにより自動的に照明が灯る。
セフィロスは躊躇いなく一気にベッドのシーツを引き払うと、ジェネシスの身体を明るい蛍光灯のもとに晒した。
反射的に劣化の進んだ身体を隠すように、ジェネシスは身を竦ませる。逃れる事は出来ないと理解していても、出来るだけ今の自分の姿をセフィロスには見せたくなかった。
セフィロスはベッドに身を乗り上げ覆い被さるように、ジェネシスの身体を優しく包み込む。それでも顔を逸らそうとするジェネシスの細顎を捉えると、強引に上向かせた。
「久しぶりなんだ。お前の顔を、よく見せてくれ」
両手でジェネシスの顔を挟み込んで固定する。以前のような眩しい程に鮮やかな朱を帯びた栗毛も、滑らかな白磁の肌も失なわれ、かつての輝かしいほどの美しさは名残りさえも残っていない。しかし、セフィロスにとっては、この世で唯ひとりの気高く貴く美しい愛しき人。
やっと得られた二人きりの時間を無駄にはしたくなかった。
「愛してる」
「セフィロス……」
醜悪な姿を晒す今の自分に、未だ変わらず愛の言葉を捧げてくれる事が嬉しくて、ジェネシスの目端には涙が浮かぶ。
もう二度とセフィロスには会うまいと、ジェネシスは心に誓っていた。面会もこのままずっと拒否を続けるつもりだった。
だが、セフィロスが何らかの代償を支払ってまで確保してくれた、二人きりの時間。
どうして、それを拒む事が出来ようか?
ジェネシスは覚悟を決めると、今度は自らの意思でセフィロスの身体に縋りつき、その存在を確かめるように慎重に掻き抱いた。
「愛してる……俺も。セフィロス──

あの日、翼が生えてサンプルルームに閉じ込められてから、一体幾月の時が流れたのだろうか。
あれから一度も外へ出ていない。
医務室へと移されてからは、窓から外を見られるようになっただけ大分マシになった。代わり映えのない景色ではあったが。
外界の風を、空気を、もう一度肌で感じたい。自分に許されている事は、このまま此所で朽ちていく事だけだとしても。
セフィロスの流れるような銀糸が肌に触れる。銀糸と共に髪に含まれた外界の匂いとセフィロス自身の匂いがふわりと広がり、鼻孔を擽る。
それだけで、心が充たされる。
自身が置かれているこの状況は、この立場は、不幸と言われるべき状態なのかも知れない。だが、ジェネシスはセフィロスの腕の中で、今、この状況下故に得られる至上の幸福感にその身を沈めた。
セフィロスは、ジェネシスの首筋から肩へと唇を移動させていく。肩からは、二の腕、肘、手首と徐々に末端へと移動させた。
左の手首にはネット状の包帯で固定された点滴用のカテーテル。右腕にも幾つか内出血の痕が見られる。セフィロスは内出血痕を辿るように口付けを落としていき、果ては指先へと辿り着いた。
指先一本一本を丹念に舐め上げられ、ジェネシスは身を震わせる。
「あっ……んぅ」
カメラによる監視は飽くまでも映像のみで音声は取得されていなかったが、やはり見られているという意識があった為かジェネシスは声を出すのを無意識に控えていた。監視の眼が無くなった今でも、声を抑えるのが癖になってしまったのかジェネシスの声はどこか遠慮がちだ。
「もっと、お前の声を聴かせてくれ」
ジェネシスの顔を両手で差し挟むようにして覗き込み哀願する。
ジェネシスの低く透き通るような艶のある甘い声が好きだった。幸い、劣化は声音にまでは及んでいない。どんなに劣化が進んでも変わらぬ麗しい美声。いつまでも、いくらでも聴いていたい。
「セフィロス……」
普段はどちらかというと要求の少ないセフィロスが、顔を見たいと、声を聴きたいと、自分を切望し請うてくる。
そっと片手を伸ばしセフィロスの頬に触れる。
「分かった。お前が望むように……。今日は、お前の好きにしろ──
セフィロスの払った代償がどのようなものなのか、ジェネシスには想像も付かなかったが、恐らくそれは簡単に為しえる事ではないのだろう。
セフィロスからは、この状況── 真に二人きりで過ごせる時間は、これで最後なのだと思わせるような切迫感が伝わってきた。
ジェネシスの身に付けている医療用のパジャマは、その性質上容易に脱がせる事が出来る。当然のようにあっさりとセフィロスはジェネシスの着衣を奪い、その裸身を晒した。
たったそれだけの行為で、ジェネシスの頬は朱を帯び息が上がっていく。
セフィロスはジェネシスの脚に腕を絡め捉えると、その膝頭にキスを落とした。
「んン! ……あっ、はぁ」
膝から脛を辿って、足首から足の甲を巡る。
膝裏を指でなぞられ、同時に足を指先まで唇で愛撫される。
「あぁっ! ……ん、セフィロ……ス」
身を捩って、この強い快感から逃れたくなる。だが、好きにしろと言ったのはこちらなのだ。ジェネシスはシーツを握り締めて与えられる過度の快感に耐えた。
セフィロスの舌は、逆に足先から徐々に腿の方へと這い上がってくる。だが、核心に近付く寸前で不意に別の箇所に愛撫は移動していく。
指先から足先、身体の隅々まで広く浅く施されるセフィロスの愛撫に、ジェネシスは遂に耐え切れなくなった。逃れるように身を捩って、うつ伏せになる。すると今度は丹念に背中に舌を這わされる。
「ああっ! んぅ……」
シーツにしがみつきながら、与えられる新たな官能を享受する。肩胛骨やうなじに舌を這わされる事が、如何に強い愉悦をもたらすのか。自分でさえ知らなかった身体の事を、セフィロスによって教え込まれているようで悔しい。
「セフィ、ロス……早く……」
末端から中心へと向かいつつ、決して核心に触れようとしないセフィロスの愛撫に、ジェネシスの方が先に根を上げた。
もっと、強い快楽を──
もっと、鋭い刺激を、めくるめく淫蕩を──
「早く……どうして欲しい?」
背中側から覆い被さるようにして、耳元で囁く。意地悪な低い声。同時に長い銀の髪がジェネシスの身体を擽る。
「ぁ……んぅ……セフィロス、お前が……欲しい」
躊躇いがちに何とか絞り出す。
「それだけでは、よく分からないな」
余裕を感じる声が、ますます癪に障る。
「クッ── 入れて、くれ。あんたが欲しいんだ!」
セフィロスとは違い、ジェネシスには最早、駆け引きなどしている余裕は無かった。

セフィロスを受け入れてひとつになる。
それだけで、ジェネシスには充分満足だった。それ以上の行為は過分に思える程の充実感が心を満たす。
「すまない、セフィロス」
突如、目元に水分を浮かべて、愛しい恋人の背に手を廻す。
「何故、謝る?」
「だって……」
ジェネシスは言い難いのか、一度言い淀んでから顔を逸らし。
「こんな……醜い身体、劣化してボロボロの……。こんな身体を抱いても……お前は──
唇を噛み締め、言葉を詰まらせる。
セフィロスは顔を顰めると、ジェネシスの顎を掴んで上向かせ両のまなこを凝視する。
「俺は、お前を抱きたいから抱いてる。劣化してる? それがどうした? それで、お前の何が変わる? 俺の愛したお前は何ひとつ変わっていない。今、この瞬間も──
「セフィ……ロス」
ジェネシスは、無意識に溢れそうになる涙を隠すようにセフィロスの胸に顔を埋ずめた。
幸せだった。
どんな代償を払ったとしても、決して得られる事のない幸福。
こんなにも深く想われ、こんなにも真摯に愛され、このまま朽ち果て儚くなったとしても、ジェネシスは本望だと思えた。最期にセフィロスに真に愛された記憶があるのなら……。

ジェネシスは事が終わった頃には完全に意識を失ない、昏睡状態に陥った。
劣化が進んだ極度に衰弱した身体でセックスを行ったのは、やはり肉体的な負担が大きかったのだろう。
ジェネシスが昏睡から目覚めるまで、かなりの時間を要した。
目覚めた時、信じ難い事にあらゆる劣化を示す兆候が沈静化していた。
片手をじっと見て、続いて自分の頬を触る。劣化して潤いさえ失ない、かさつきひび割れていた皮膚が、元の状態に戻っている。
慌てて髪にも手をやり、長めの部分を無理矢理引っ張って視界に入れ見てみるが、果たして髪の色もかつてのような美しい赤みを帯びた淡いブラウンを取り戻していた。
「劣化が……止まって……る?!」
ジェネシスには自分が昏睡状態に陥ってから、どれだけの時間が経過しているのかは分からなかった。
だが、左手には相変わらず点滴用のカテーテルが装着されているところをみると、完全に元の状態に戻った訳ではないらしい。
ベッドサイドにはブドウ糖などが入った薬袋が複数下げられた点滴台が置かれ、それらはチューブで左腕のカテーテルと繋がれていた。
体調の方はまだ万全ではないのだろう。だが、少なくとも劣化の進行は治まっているかのように思えた。
天井の角にある監視カメラに目をやると、今まで通り稼働を示す赤いランプが点灯している。
正しい状況を把握したくて、ベッドサイドに取り付けられたナースコールを鳴らそうと手を延ばし掛けた瞬間、誰かが入室してくる気配を感じて思わず身を竦めた。
カメラの映像からジェネシスの意識が戻った事が分かったのだろう。
ホランダーか宝条か、ただの看護師か。じっと息を潜めて待っていると、カーテンの向こうから現れたのは意外にも幼馴染みのアンジールだった。
「やっと気が付いたようだな。具合はどうだ?」
「あ……ああ、大丈夫だ。それより相棒。お前、どうやってサンプルルームから外に……?」
「劣化の治療の為に俺も医務室へ移された。俺はまだ、それほど劣化が進んでいなかったから落ち着くのも早かったが、お前はなかなか目覚めなかったから心配したぞ?」
「劣化の……治療?」
ジェネシスは不快そうな表情を露にする。そんな方法が見付かったなんて話は聞いていない。
アンジールは、ベッドサイド近くに椅子を引いてきて腰掛ける。
「お前はまだ、セフィロスの事を聞いていないのか?」
アンジールの問掛けに無言で頷き返す。
「セフィロスは、今、何処にいるんだ?」
ジェネシスの当然の質問に、アンジールは少し渋い顔を見せてから軽く嘆息し、順を追って話し始めた。

それは遠い過去の話にまで遡る。
ホランダーが手掛けたプロジェクト・G、そして宝条が手掛けたプロジェクト・S。
その非人道的な実験によって産み出された3体のモンスター。
プロジェクト・Gは失敗でホランダーは失脚し、成功を収めた宝条は科学部門の統括となった。
その成功作、プロジェクト・Sによって産み出されたモンスター、それがセフィロスだった。
セフィロスは真に完璧なモンスターだった。ずば抜けた身体的能力、魔力などの才覚は元より、ジェネシスやアンジールと違ってコピー能力を持たない為、劣化する事もなかった。
そのセフィロスが持つ完璧かつ純粋なS細胞だけが劣化を止める。── その結論に辿り着いたホランダーは、セフィロスに血液の提供を求めたのだ。

「君は劣化していない。完璧── だから」
「どうして、俺が劣化しているかどうかなんて話になるんだ?」
「それは、君が……完璧なモンスターだから── だ」
自身がモンスターだと聞かされ、セフィロスは瞠目し息を呑んだ。
「ジェノバ細胞を使って、胎児からモンスターを造り出す実験は、私と宝条、それぞれ別のプロジェクトとして別々に行われた。宝条は私の実験の失敗を踏まえて、ジェノバ細胞を直接胎児に移植する方法を取った。そうして、造り出されたのが完璧なるモンスター、神羅の英雄セフィロス、君なんだ」
「クッ……ククク」
最早、笑いしか込み上げて来なかった。
つまり、自分を含めてアンジールもジェネシスも神羅の狂気の人体実験によって造り出されたモンスターだと言うのか。造り出されたモンスターだからこそ、容易くソルジャー・クラス1stに、英雄と讃え称される特別な存在に成れたというのか。
唯一無二と言える親友達も自分も同じモンスターだった。いや、同じモンスターだからこそ、親友になりえたのかも知れない。例え多少の手加減をしていたとは言え、英雄であるセフィロスと真剣を交えて勝負出来るのは、あの二人だけだった。
解ってしまえば、至極簡単な事。
リスクを覚悟の上でガスト博士が、自分を、神羅を捨てて、去って行ったのは非道な神羅のやり方に何か思うところがあったのだろう。モンスターである自分を置き去りにしたのは、当然の事だったのだ。

セフィロスは瞼を伏せ、複雑な想いに思考を委ねた。
ジェネシス。
今も刻一刻と進む劣化に苦しんでいる、愛しい恋人。
劣化を止めてやる事が出来るのならば、血液くらい幾らでも提供してやろう。
だが、自身もモンスターである事が分かった今、自分はどうすればいいのか。どうするべきなのか。
事が明るみになれば、セフィロス自身でさえもサンプルルームに拘束され兼ねない。
信じていた世界が、がらがらと崩壊の音を立てて瓦解していくのを感じた。
もう従順なソルジャーを、神羅の英雄を続ける事は出来ない。
幼い頃からソルジャーとして、神羅の英雄として生きてきたセフィロスにとっては、神羅カンパニーそのものが生活の基盤であり人生の根幹だったのだ。
その世界は小さな世界だったかも知れない。だが、セフィロスにはそれが世界の全てであった。
その世界が全て人の手によって捏造され造り出された虚構だと知った今、セフィロスに残された選択肢は限られた僅かなものしかなかった。

ホランダーに血液を提供した後、セフィロスは思案の末ジェネシスの下を訪れた。
最後にどうしても愛しい恋人をこの腕に抱きたかった。
自身も同じモンスターである事は明かせなかった。ジェネシスには知られたくなかった。知って欲しくなかった。
劣化に因る影響でジェネシスの身体がかなり衰弱している事は理解していた。最初は優しく抱いてやるつもりだったが、これが最後かと思うと理性を抑える事が出来ず、結局は無理を強いた。
我ながら酷い男だと思う。
だが、ジェネシスと出会わなかったら、ジェネシスを好きにならなかったら、ジェネシスと付き合わなかったら、こんな風に内省する事もなかっただろう。
最後に、精を吐き出すのと同時にジェネシスは気を失なった。セフィロスは簡単にジェネシスの衣服を着せ乱れたベッドを整えてやると、そのまま黙って医務室を立ち去って行った。

「セフィロスが今、何処に居るかは分からない。奴は俺達に血液を提供した後、失踪したんだ」
いつもなら、すんなり頭に入ってくる幼馴染みの発する言葉が、今は直ぐに理解出来ない。暫し固まってアンジールの言葉を何度か脳内で反芻したのち、ようやく重い身体をベッドから起こして問い返す。
「失踪── ?」
「あいつは、神羅を捨てたんだ」
神羅を捨てる── その言葉にジェネシスの思考は停止した。
神羅を捨ててもいい。
確かにセフィロスは、そう言っていた。だが、それはジェネシスの為だった筈。
「嘘── だ!」
医務室にジェネシスの慟哭が響く。
セフィロスが自分を置いて神羅を捨てるなど、信じられなかった。考えたくもなかった。
点滴台がぐらついて、その平衡を失ない倒れそうになるのを、アンジールが慌てて支える。
「落ち着け! 落ち着くんだ、ジェネシス。お前の身体はまだ療養が必要なんだぞ!」
動揺して暴れるジェネシスを、アンジールは無理矢理ベッドに寝かし付けた。
「だって、愛してると言ったんだ。こんな……出来損ないのモンスターの、俺でも……愛してると。なのに、どうして……」
ジェネシスの目元からは、無意識の涙が次々と溢れ出てくる。
アンジールは丁寧にその涙を拭ってやりながら、更に声を掛けてやる。
「あいつは、ただのソルジャーじゃない。神羅の英雄だったんだ。自分がモンスターだと分かって尚、これ以上は此処には……神羅カンパニーには居られなかったんだろう。察してやれ」
「だけど、俺にはそんな事、一言も……」
「お前には、言えなかったんだろう」
「何をだ!? 今更、俺に何が言えない?」
「あいつも……セフィロス自身もモンスターだった、という事を── だ」
暴れるのを止め、少し落ち着きを取り戻した様子のジェネシスに、アンジールは諭すように続けた。
「セフィロスは知っていたんだ。お前が、昔からセフィロスに……神羅の英雄に憧れていた事を──
確かに憧れていた。神羅の英雄であるセフィロスに──
でも、それは遠い子供の時分の話だ。

「俺は、お前を抱きたいから抱いてる。劣化してる? それがどうした? それで、お前の何が変わる? 俺の愛したお前は何ひとつ変わっていない。今、この瞬間も──

セフィロスの言葉が脳裏に蘇る。
ジェネシスも同じだ。プロジェクトもジェノバ細胞も成功作も失敗作も関係ない。英雄ではなくても、例えモンスターであっても、自分が愛したセフィロスに何の変わりもなかった。
同じ想いでいたのに、伝わっていなかったのか。自分が伝えられていなかったのか。歯がゆい想いに悔しさから、涙が滲む。
今からでもセフィロスに伝えたい。

ジェネシスは、徐にベッドから起き上がると点滴のチューブごと左手のカテーテルを引き千切った。
「何をするんだ、ジェネシス?!」
「俺も神羅を捨てる! セフィロスを捜しに行くんだ」
「だが、お前の身体はまだ……」
「ハッ、万全になるまで待てと言うのか? 冗談だろう。俺の体調が回復したら、またサンプルルームに閉じ込められるだけだ。出て行くなら、警戒の薄い今しかないんだ!」
今なら、まだセキュリティレベルは低い。
リストからその名を外されたとは言え、ジェネシスはソルジャー・クラス1stの能力を有しているのだ。一度でも逃亡を警戒されたら、直ちに厳重な警備が敷かれるだろう。
「アンジール、お前にも出ていく気があるなら、今のうちだぞ? サンプルルームに戻されたら、もう二度と日の目は見られない」
幼馴染みの気性の激しさにアンジールは諦めたように肩を竦める。
「分かった。だが、お前、その格好のまま出て行くつもりか?」
ジェネシスは、言われて初めて気が付いたかのように自分の格好を見直す。当然、未だ医療用パジャマのままだ。
「今、服を用意してやるから少し待て」
アンジールは宥めるように、二、三度幼馴染みの肩を叩くと、医務室の外へ出て行った。

待っていた時間はそれほど長くはなかったと思う。
だが、一刻も早く行動を起こしたかったジェネシスには、アンジールを待たずに飛び出して行きたい衝動に駆られる程長く感じられた。
やがて医務室に響く、ドアの開く静かな空気音。入って来たアンジールの姿を認めて、ようやくジェネシスは安堵する。
「とりあえず、1stの制服で構わないだろう? 黒だし目立たない。場合によってはソルジャーだと誤魔化しが利くかも知れん」
1stの制服一式を渡した後、アンジールは更に畳まれた濃紺のコートを差し出した。
それはアンジールのコートだった。寒冷地に赴く時ぐらいしか着用していないので、身に付けているところは滅多に見掛けないが、バスターソードと同様にアンジールが大事に扱っている装備のひとつだった。
「これも着ていけ。お前の紅いコートじゃ目立ち過ぎる」
「アンジール。お前は、どうするつもりなんだ? まさか、残る……気か!?」
アンジールから渡された装備一式を受け取りながら、ジェネシスは詰問する。
「逃げるなら、一人の方が身軽だ。特にお前ならその方が有利だろう。俺は残って、出来る限りお前の不在がばれないように、時間を稼ぐ」
「だが……!」
ジェネシスは、そっと天井のカメラを一瞥する。
その挙動だけでジェネシスの思考を読んで、アンジールは説明する。
「今、あのカメラで監視しているのはホランダーだけだ。奴は神羅に復讐を企てている。その復讐に加担してやる振りをして、協力させる」
驚きの意と共に幼馴染みの顔を暫し見詰める。
「クッ、相棒。お前も随分と悪どくなったな」
「何とでも言え。お前を無事、神羅ここから逃がす為なら何だってするさ。俺は、これ以上親友を失なう気は無いんでな」
お互いに、悪巧みを企んだ子供のような笑みを交わす。こんな状況なのに、不謹慎にも楽しくさえあった。
「だが、此所に残るのは相当なリスクだぞ?」
一転して、ジェネシスは神妙な面持ちで尋ねる。アンジール自身も重々承知だとは思うが、確認せずにはいられなかった。
「多少の事は覚悟している。それに── 何より、お前達を信じているからな」
アンジールは、ふっと柔らかく笑みを見せて、目を閉じた。
「ジェネシス、あの『LOVELESS』の最終章の一節をそらんじてくれないか?」
突然の要求に、一瞬、躊躇いを見せたがジェネシスは幼馴染みの言葉に従う。
「約束のない明日であろうと、君の立つ場所に必ず舞い戻ろう」
朗朗と詠い上げるジェネシスを満足そうに見詰めて口角を上げる。
「俺達で『LOVELESS』を再現してやろうじゃないか」
アンジールは、力強く声を張った。
「だから、絶対にセフィロスを捜し出して、二人で神羅ビルを襲撃しに来い。お前達ならセキュリティレベルがSだろうと楽々突破出来るだろう? そして、約束のない再会を果たそう」
「アンジール……」
「ほら、さっさと着替えろ! 時間が無いぞ」

アンジールがホランダー経由で手に入れてくれたカードキーを駆使して、神羅ビルの最上階へと向かう。
今の自分には、以前当たり前のように使用していたカードキーさえ、不正な手段を用いなくては使えない事に苦笑が洩れる。


神羅ビルの屋上にあるヘリポートで、ジェネシスは久しぶりに己れの黒い片翼を広げた。
忌々しいだけでしかなかった醜い黒い翼。だが、今は自由を掴み取る為に必要な貴重な大きな翼。
「君よ、こいねがえ。命はぐくむ女神の贈り物を。いざ語り継がん、君の犠牲。世界の終わり」
朱色に染まりつつある空に向かって、再び『LOVELESS』を暗唱する。
「ただ終わりにはしない、アンジール。必ず迎えに来る」
決意にその澄んだ碧い双眸を輝かせ、左の拳を握る。
「そして、セフィロス。必ず見つけ出してやる!」

俺の半身。
今の俺の身体には、アンジールとセフィロス、二人の親友の血が巡っている。
俺が現在いまここに存在しているのは、お前達の血のお陰。二人の血を代償として、俺の生命は存在するのだ。

ジェネシスは黒い片翼を一段と大きく広げて、ゆっくりとはためかせる。
そうして、宵の明星が光る濃紺の空へ、同じ色のコートを身に纏って翔び立って行った。

end
2009/3/17−4/16
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